コロナ爆発やばいですね!さすがの徘徊老人も電車乗って人混みに出たくない~
(1)いきなりですが、玉電廃止の日、昭和44年5月11日の用賀電停付近です。古豪30形が、満員のお名残り客を乗せて、二子玉川にむかって発車していきます。
そしてこちら↓が現在の同じ場所です。ちなみにCedarの塒から徒歩15分~

そしてこちら↓が現在の同じ場所です。ちなみにCedarの塒から徒歩15分~
DT線用賀駅の直上になりますね。
(2)ここでクイズ!すべてが変わってしまった中で唯一当時と同じもの~はどれでしょうか・・・・?
(3)それがこのビル!なんですが、とうとう取り壊しが決まり、テナントもほぼ退出したようです、1階部分も鉄板で覆われてしまいました。
(4・5)




このビルには、鉄ニャンもお世話になった獣医さんがあったのですが、ご近所に移転しています。
(6)高速の向こう側に見えてるのが古巣ビルですね。

玉電が消えて50年以上経つのに、残っていたのが奇跡的なのかも~
Cedarは週に2回以上は通るこの道、鈴木ビル以外に玉電が走っていたころの面影を偲ぶ建物は、もうほとんど残っていません~それでも探してみたら。

この小さなお宮↑とその反対側のこの仕舞屋(→この言葉も死語ですねえ)は玉電の姿を見てますね~

当時は歩道もなく、手前の横断歩道のあたりは玉電の軌道が敷かれていました。

隙間電車じゃないけど、ここの写真ありました~タクシーの斜後ろにお宮が写ってます。




~デベロッパーの常套句ではないですが、街並みっていつの間にか変わっていくもので、いつもの街に新しい建物が建ってみると、「ここ、前は何だったっけ?」って思うことが多いですね。

(18・19)こんな建物らしい~さすがにここは覚えてるでしょうけど~

(18・19)こんな建物らしい~さすがにここは覚えてるでしょうけど~

とかとか、炸裂したコロナ爆弾の破片に当たらないよう、引きこもりの年末で、ブログネタもご近所メインになりそうなCedar(なにしろ基礎疾患持ち高齢者ですから~)。
皆様もくれぐれもお安全にお過ごしください。
皆様もくれぐれもお安全にお過ごしください。
ではまた。
この記事へのコメント
ナツパパ
それが東京のダイナミックさをもたらす、という人もいたけれど、
ダイナミックもよりけりで、東京はやりすぎと思います。
落ち着いた環境で暮らしたいと思うのは、既に老境に入ったからかな。
gop
三軒茶屋には親戚の家があってよく行きました。
Cedar
コロナ禍の真っただ中でも「ダイナミック」?な東京なんて、なんか違う気がしますね。玉電が走っていたころの世田谷は、畑や雑木林も多かったのに、今では限りなく家並みが続いています。
■gop様
電柱のこと、気がつきませんでした。別の電柱ですが確かに傾いていますね。
三軒茶屋までは玉電に乗られたのでしょうか?
モハメイドペーパー
ひでほ
Cedar
廃止時にCedarは高校3年ですからねえ~沿道の建物が変わってるのも当たり前~前期高齢者もあと少し?
■ひでほ様
駒沢の小学校ってアソコかな?確かに畑が残ってそうな場所ですね。
★nice!いただいた皆様
ありがとうございます
伊豆之国
「電柱が傾いている」というのは、電柱にかかる高圧ケーブルなどの張力によって引っ張られるもので、その圧力は想像以上のものがあるそうです。10数mもあるコンクリートの電柱が弓なりに曲がっていたのを見た記憶もありました。
40年ほど前まで住んでいた駒澤界隈も、ここ数年足を運んでいませんが、"Street View"で見ると、駒澤の交差点の近辺でその当時から今も残っているのは、角の南西側の八百屋さんとその先の西友、北東側にある、第一勧銀から名が変わったみずほ銀行など、数えるほどでした。駒澤小学校の周りには、当時からのマンションが何棟か残っているようでしたが、すぐ裏に畑があったという記憶はなく、"Street View"を見てもそのようなのはなかったので、もしかしたら北の方へ坂を下った辺りにあったものでしょうか?
チャッピー
時は半世紀以上流れましたね。
あまり注目されませんが、昭和のビルもどんどん姿を消してますね、
大好きなんで、話題にしていただき有り難いです。
OER3001
Cedar
高圧線の張力で電柱が曲がる~なるほど!情報ありがとうございます。
■チャッピー様
では、ひょっとしてこの日沿道で写真撮ってた高校生のCedarと50年前にニアミス!昭和ビルって、最近の安普請ビルと違う存在感があります。お電車と同じかな?
■OER3001様
玉電現役時代を覚えてるのは高齢者、だとモハメイド師も書かれてます~歳とると時間の流れが速いからついこの前?
Junior
玉電の30形って武骨な感じが結構好きなんですけど、首都を走るには田舎っぽいデザインですよねぇ。
金曜日、阪神甲子園球場の横を歩いてると、以前発見した阪神甲子園線の架線柱のコンクリート製の基礎部(溶断された鉄骨が一部残ってます)がまだそのまま残されていました。
こんなのを発見すると、当時の電車が走ってる光景が頭ン中に蘇ってきます。
ホント、昭和は遠くに行っちゃったんですねぇ。シミヂミ…。
Cedar
玉電30形をガキの頃初めて見たとき、玉電なのに四角いじゃん!って思いましたね。
これと丸々とした200形のすれ違いシーンは時代差ありありでした。
業務連絡、本日例のブツ、受け取ってきます。
シグ鉄
当時最上級の建築も今ではすっかり時代遅れのようですね。
京葉帝都
Cedar
専門用語がわからないのですが、要するにこのビルみたいのは保険料が安い?高い?そんなことすらわからない・・・(恥)
■京葉帝都様
やるかどうか怪しいオリンピックありきで、街壊しは続いています。
用賀には玉電の記念碑は無いのでは?そういうものに関心薄いので未確ですが・・・
マサ
Chitetsu
それにしても変化が激しいですね。
街並みの記憶というのはいつの間にか無くなっていくものなのですね。
Cedar
幼少期の玉電の思い出、ありがとうございます。沿線にお住いの方の玉電への思いは格別でしょうね。
大坂を玉電が走っていた最後のころは道も空も広く電車も元気に見えました。
■Chitetsu様
最近では街並みの変化の激しさも気になります。東京も一か所でもいいので昭和街並みそのものを保存してくれたら~無理でしょうね。