いつも楽しませていただいている、む~さん様のブログの記事 http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2011-09-18 で、荒川線町屋の風景を拝見しているうちに、自分が学生時代に撮った町屋界隈と比べてみたくなりまして・・・
カラーは平成23年、む~さん様撮影、モノクロは昭和43年、高校生だった私の撮影です。
(※掲載にあたりまして、む~さん様から画像使用の許可をいただきました、お礼を申し上げます)
まずは町屋電停の43年を隔てた今昔風景(1・2)から
(1)今ではすっかりきれいに整備され、都電の乗り場も立派になった町屋駅前、町並もビルになっていますが・・・![]()
(2)昭和43年にはこんな感じでした。・・・通路とも電停ともつかない狭い場所に、都電の乗客や、京成との乗り換えの人があふれていました。あたりには火葬場の煙突以外に高い建物は無く、今はレイクや焼肉屋さんの入ったビルが建つ尾竹橋通りの角には<サロンバー、バリ島>のネオンがそびえています。電車の手前の<町屋の漢方薬>の電柱広告も目立ちます。写真の左側には通路に面して、一杯飲み屋やらラーメン屋やら、が並んでいました。
京成との立体交差部の今昔写真です。 新スカイライナーも走る高架線は昭和初期の開通で、走る電車が変わってもこればかりは昔のままですね。
(3・4)
こちら昭和43年の写真は、京成青電(2100+210+210+2100の更新カルダン化編成のようで、Keiseiのロゴでちょっぴりお洒落をしていますね)と都電6000の交差風景です。波打ったさし掛け屋根の通路と、アパートや一杯飲み屋の町並みとの間を、赤羽行き27系統が三ノ輪方面から到着。
当時、通常は三ノ輪橋⇔赤羽間の27系統のみが走っていて、早稲田方面の32系統は荒川車庫が終点でした。
2枚の写真を比べると、線路の整備状態に差があるのが印象的です。当時は路面とも専用軌道ともつかない中途半端な感じでした。
それにしても今の線路は立派ですねえ!
(5・6)町屋電停周辺の全景の対比です。東京のいたるところで見られる<時の流れ>がここでも・・という感じです。
京成の町屋駅は、ごちゃごちゃした家並みにすっかり埋もれていますね~地震がきたら一発で倒壊しそうな盛大に波打つアーケード(?)はアジア的なにおいが一杯でした~そういえば、昔からこの界隈には焼肉屋さんやもつ焼きの店が多かった~。 6000形と交差している京成電車は3000系赤電、KDKのロゴと片開き扉は初期の系列です。
(5)タイミングよく(!?)画面を横切ってくれた女子高生のかわいい笑顔に、ピントが合ってないのが残念でした。
(6)そして今は、アジア的なごちゃごちゃはすっかり消え、バリアフリー化された電停はヨーロッパのLRTの雰囲気すら感じます。遠くに見える京成の駅周辺もすっかりきれいに整備されているようですね。
今も変わらない京成のガードをくぐっていく、ワンマン化当時の復刻塗装(=荒川線の初期の塗装)の7022のショットはいいですね~
(7)
小さな電車が昭和の時代に連れて行ってくれるタイムマシンのようです。
(8・9)7022が京成のガードをくぐると、再び昭和43年の情景が広がりました~7000のボディも更新前の姿に戻って(?)いますね。京成の高架線は昭和6年開通で、昨今のものより背が低いので、ビューゲルもずいぶん寝ています。![]()
写真8の拡大です。背の低い京成の高架下に店舗と住宅の2階家がはめ込まれてた当時の様子がよくわかります。しばらく前まで日暮里から町屋までの高架下は、こんな景色がず~っと続いていました。
(10)
京成をくぐった後は、今もある東京都汚水処理場(!)の脇を抜け、町工場と小住宅の混ざる中を、終点三ノ輪橋に向かいます。当時の都電の軌道敷は住民の生活道路も兼ねていたのはご存知の方も多いですね。
おまけ!
今も昔も独特の終点風情がある三ノ輪橋の今昔写真もどうぞ。近年の昭和ブームに乗ってしばらく前に<昭和レトロ>風?に改装されました。(※この写真はむ~さん様から戴いたものではありません)
(11・12)
私の撮った昭和43年の光景と並べてみました・・何のことはない、アーチのような駅名板(?)こそありませんが、わざわざお金かけてこのころの雰囲気に戻したわけですね・・
(13)2線あった発車ホームが1線になったものの、<再現しようとした昭和レトロ感>そのもののムードです。電車の後ろに見える駄菓子屋さん(?)は今でもそのままあるようです。
(14)こちらは明治通りにある電停の入り口、ビルの1階をトンネルのように抜け、商店街を通って電停に出ます。
このビルは元王電(王子電気軌道という私鉄がこの線のルーツです)の所有で、私の写真のころには、王電入り口(元)という案内表記がまだ残っておりました。
尊敬する大先輩の記事からスピンアウト(?)して、画像までお借りしてしまった今回の記事、このへんでおしまいです。
最後になりましたが、画像をお借りすることを快諾いただいた<む~さん>様に厚くお礼を申し上げます。
この記事へのコメント
Cedar
nice!ありがとうございます。記事の日付けを修正のため再掲しましたので、17日つけの記事は削除いたしました。申し訳ございません
manamana
電車も人々の洋服も変わったけれども、
京成の高架橋だけが変わらず街を見下ろしています。
maipenrai
三ノ輪橋の27番の乗り場から、乗換の21番が走る日光街道に抜ける狭く薄暗いけど活気のあった通路の記憶が蘇って来ました。
hanamura
アジア的な・・・パワーがありました。成長力かなぁ?
U
私はローカルの小学生でして都電にも京成にも全く縁がなかったのですが、
当時利用していた「江ノ電」は都電のお古が活躍し、「物陰から電車が飛び出してくる」類でした。
今回の今昔写真を見て、昔は電車の回りにフツーにわさわさ人がいたんだな、と、改めて想い出しています。
む〜さん
(5)の雰囲気が良いですね。そして、現代の変わりようには目を疑いますね。この頃の都電には、路面電車なんだか、専用軌道なんだか判らないようなところが、見られます。線路の歩行は普通の事で、別段取り立てていうようなものではありませんでした。
京成の架線柱・・・いまでも、このままですね。
(10)の「Sカーブ」良いなあ!ポケットに手を突っ込んだおっさんの後姿、また良し!
懐かしさに、涙です!有難う御座いました。
fujimiya
七五三の写真を王電ビルの写真館で撮ったのがあります。白黒です。
沿線の荒川一中出身です。
懐かしい!!
Cedar
鉄道は線路周りだけは容易に変えられないです・・・古い高架線は特に昔の気分を残しています。
■maipenrai様
>「アジア的混沌」の中に暮らしていたんですね。そりゃリアル・アジアの混沌に郷愁をかきたてられるわけです~
まったく同じです!初めて彼の地に行ったときに「初めてなのに懐かしい」気分になったものでした。酒色(?!)だけでない魅力を感じてしまったわけは、そういうことなんですよね・・・電車が無いのが玉にきず!
■hanamura様
成長力!~ですね。時代の気分はほんとにそんな感じでした。オリンピックと大阪万博のまんなかの時代ですから。
■U様
江ノ電ほどではないですが、今の荒川線の軌道敷は沿線の生活道路でした。今の新幹線みたいな立派な線路は、きっと歩きにくいでしょうね(笑)。
■む~さん様
今回の記事は貴兄のお写真を見て思いついたものです。本来ならば自分で今の姿を撮影すべきなのに、生来のものぐさが・・・・
今昔の姿を比べてみると、どちらがいいとか言うよりも、昔の方が電車と人の距離が近かったことがよくわかります。
■fujimiya様
コメントありがとうございます。
王電ビルはそれ自体が記念物的な建物ですね。うちの父などは20年位前まで<おうでん>と呼んでいました~荒川線とは、ついぞ呼ばなかったです。
Cedar
★nd502様
★ug-tak様
★ひもブレーキ様
nice!ありがとうございます
京葉帝都
京成を潜る区間と三ノ輪橋駅の写真を見てビューゲルの角度の違いに驚きました。
当時の京成町屋駅のホームは都電側には伸びてきていなかったのですね。
この高架ホームは何となく京急の黄金町駅の雰囲気に通じるものがあります。
教祖
まあ、43年も前ですから今とは全然世の中が違います。
現在の都電の軌道って強化し過ぎ?
路面電車の軌道とは思えない・・・
どこの大手私鉄か?いう位整備されてますよね。
うたに
走る車両や街並みが変わっても、鉄道が走っていることは変わっていない。それがいいです。
写真を拝見して、荒川線、本当に残しておいてよかったなと思いました。
京阪快急3000
平成の「現在」と、「昭和43年」とで、「都電荒川線」は、こんなに雰囲気が違うのですね!!
大変驚いた次第です。
Cedar
カオス的雑踏は当時の日本ではあちこちに見られましたね。京急の黄金町ですか~あそこはその昔はヤバイ場所でしたね。
■教祖様
此処まで立派な軌道にする必要はあるのでしょうか?ドイツなどのLRT並みですね!速度も輸送量も全然違うのにね・・・保守の都合など色々あるのでしょうが・・
■うたに様
ありがとうございます。大先輩とのコラボで面白い記事になったと思います。む~さん様に感謝でございます!
■京阪快急3000様
自分でも驚いています。あの沿線は東京でも昔のムードが残っている区間なのに・・やはり東京は変化が激しいですね。
Cedar
★あおたけ様
nice!ありがとうございます
line
私もNo8の写真とほぼ同じ位置で撮ってました。ちょうど10年後の昭和53年です。
比較して見ると43年から53年にかけての街並みの変遷も意外と激しかったようです。
名前のURLに画像リンクしましたので、是非ご覧になってくださいませ。
のり
専用軌道とはいえ、路面電車は生活に密着した乗り物であることが本当によくわかりますね。
周囲の風景がとても素敵に写っております。
Cedar
画像拝見しました。手前右の建物は当時もあったような気がします。
こういう昭和っぽい建物も今や貴重ですね。
■のり様
大先輩の写真を活用させていただき、電車風景の変遷をうまく表現できました。
近々自分でも都電沿線に出張ろうと思っています。
Cedar
★gardenwalker様
★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
ひもブレーキ
Cedar
実はこの風景がいつごろまであったか憶えていないのです。
呑み鉄のはしりですね。
Cedar
nice!ありがとうございます
COLE
Cedar
ありがとうございます。
新旧対比は面白いのですが、今回は先輩のお写真を使わせていただいています。本来は自分で撮るべき・・・(汗)