東上線坂戸町(昭和39年)

先週の日曜日、東上線の坂戸まで行ったのですが、カメラ不携帯でした。代わりといってはなんですが、今から47年前の同駅の様子を見ていただくことにします。東上線コラージュタイトル.jpg 当時は駅名も坂戸町でした。正確な日付けは記憶が無いのですが※、ヘッドマークつきの電車が走っていたので日曜か祝日だったのでしょうね。

※猫ムササビさまの8000系デビューの記述により、昭和39年の撮影だったことが判明しました。申し訳ありません・・(汗)

(1)池袋から約1時間かかって到着した坂戸町駅。乗ってきた東松山行き準急の後姿です。出発信号はなつかしや腕木式信号機です。当時は東京近郊にも普通に見られました。坂戸町0R.jpg お椀ベンチレーター&腕木式信号機、これぞ東武!という感じです。坂戸町05R.jpg (2)か細い線路に腕木式信号機、ホームをつなぐ構内踏切・・・いかにも蒸気鉄道から出発した線区らしい。左に分岐していくのは支線の越生線です。そちらの出発信号が色灯式なのが面白いですね。

(3)駅本屋のある側の上り線に入線してくる8000系の池袋行き、大きなヘッドマークをつけた休臨時電車はこの頃、各私鉄で見られたものです。方向幕→AAD全盛の今ではすっかり少なくなりました。坂戸町02R.jpg 本線上りは6番線、寄居方面が5番線・・・ということはこの駅舎は裏口だったのでしょうか。

日曜日には完成したばかりのレンガ仕上げの橋上駅舎を見て。あまりの変わりようにしばしびっくりして、その後、感慨にふけった~というおなじみのパターンでした。


 

池袋寄りのショット2題。当時は川越からは単線だったはずです。

(4・5)越生線のホームに入線するのは、懐かしいオレンジにイエローストライプ(というか朱色にオレンジの帯でしょうか?)の73系。こちらもヘッドマークつきです。貨物列車も運転されていた頃ですから、構内には側線が多いですね。坂戸町越生線00R.jpg坂戸町拡大01R.jpg 拡大してみましたがヘッドマークの文字は読めません。越生線には鎌北湖・黒山三滝といった行楽地(次の画像5で待合室の屋根の上にも看板がありました)に向けて休日臨時電車が運転されていました。

(6~8)続いて越生線のホーム2番線に上り準急が到着しました。やはり裏口だと思っていたこちらが1番・2番線です。

真新しい78系の電車と、さまざまのポーズで電車を待つお客さん。坂戸町越生線02R.jpg  白ペンキ塗りの乗り場案内、駅名票、待合室上の沿線行楽地の紹介看板・・・こういう何でも無いものが、いまや姿を消していますね。支線→本線の直通列車も今は全滅状態です。坂戸町03R.jpg坂戸町拡大01R.jpg しばし停車ののち、池袋に向かって出発していく78系。まさか2連で池袋まで行くとは思えず、川越市辺りで増結するのでしょう。電車の行く手に広がる雑木林が関東平野らしい感じです。宅地化もこの辺では、まだまだだった頃です。

余談なのですが、この当時の構内写真って、構内係員の姿が写っていることが多い。ATSも無く、ポイント転換や、信号の確認も人力でやっていた時代だったのですね。

以上、いまや面影は微塵も無い、東上線坂戸町のほぼ半世紀前(!)の姿でした。

この記事へのコメント

  • manamana

    味わいのある電車がたくさん見られますね。
    広い構内は貨物用なのでしょう。
    お客さんも大勢いて賑わっている感じがいいですね。
    2011年04月07日 06:31
  • 猫ムササビ

    写真の8000系は昭和38年11月がデビューらしいです。ほとんだが同系の東武野田線利用としては、製造期間が長かったとはいえ、よう持たしますなぁ…が印象。その8000系、最近は下段の窓をボルト締めで固定し、郊外のさわやかな外気が楽しめないという暴挙が行なわれています。そこへ来ての節電の機運。すでに多くのJRや民鉄では空調を切っての運行が当たり前です。この先、ローカル線から率先して冷房はカットされるでしょう。かたや最新型はハメ殺しの窓だからそうは行きませんよね。中途半端な真夏の8000系にゾッとしてしまいます。
    2011年04月07日 14:10
  • maipenrai

    デビューしたてのピカピカの8000系、当時は国鉄ライクな高運転台がかっこ良く見えたものです…と書いてから気がついたのですが、↑の野田線利用者の猫ムササビ様はお怒りのご様子…すいません、KYで。
    2011年04月07日 20:07
  • nd502

    マイカー普及率が低い時代の証ですね。
    休日の行楽地輸送は鉄道に勝る者がありませんでした。
    2011年04月07日 20:58
  • のり

    東武は、関西から見ましても実にユニークな電車が多いので興味深々です。
    すばらしい雰囲気の写真ですね。
    2011年04月07日 22:44
  • Cedar

    みなさま、昨夜の余震は驚きでしたね。お変わりありませんでしょうか?
    ■manamana様
    東武は関東の電車の中でも、国鉄的なニオイがした鉄道でした。東上線は今より面白かったですね。
    ■猫ムササビ様
    おお~っと、>写真の8000系は昭和38年11月がデビューらしいです。
    だとすると、撮影時期が間違っていそうです。春から初夏の撮影のはずなので、39年以降でないとオカシイ・・ご教授感謝です。
    いろいろご不満もございましょうが、もったいない精神はこのご時勢には正しいのかも知れませんよ。
    ■maipenrai様
    8000系は延々と製造され、更新車のスタイルも統一されたところなど、国鉄103系に似たポジショニングですね。規模の大きな私鉄ならではの現象ですしょうか?
    ■nd502様
    休日に電車に乗って行楽地へ・・私の世代には当たり前でした。現代の若者はクルマにも興味が無いとか・・よく働きよく遊ぶという日本人像も変わりましたね。
    ■のり様
    関西には絶対にない雰囲気の電車が東武ですね。同じ1067mmの名鉄に似ているかも知れません。インタアーバン的な電車の好きな私には、不思議な味わいを感じる鉄道でした。
    2011年04月08日 07:43
  • Cedar

    ★やまびこ3様
    nice!ありがとうございます。
    2011年04月08日 07:44
  • Cedar

    ★tamago様
    nice!ありがとうございます。
    2011年04月08日 14:15
  • 利きゅう

    Cedar様 
    初めて投稿させていただきます「利きゅう」と申します。拙ブログにもご訪問下さいましてありがとうございます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

    5年ほど前まで、仕事で週1回東松山へ行っておりまして毎週池袋から片道1時間、急行に揺られておりました。
    この頃は、ハイキング急行以外に準急でも越生線直通があったんですね!

    拙ブログでも次回は東武ネタを考えております。
    2011年04月11日 13:51
  • Cedar

    ■利きゅう様
    私鉄ファンでいらっしゃるとのこと、今後の記事も楽しみにしております。
    ごらんのように私も私鉄好きです~JR・国鉄は乗っていますがあまり撮っていません。
    東上線は車両は共通でしたが、独特なムードがありましたね。ヘッドマークつきの列車も多く、本線が「ミニ国鉄」だったのに対して<私鉄電車>な感じがしました。
    2011年04月11日 18:49
  • Cedar

    ★gardenwalker様
    ★FTドルフィン様
    ★あおたけ様
    nice!ありがとうございます。
    2011年04月11日 23:06
  • Cedar

    ★む~さん様
    nice!ありがとうございます。
    ★HUDSON様
    ご訪問&nice!ありがとうございます。
    2011年04月14日 23:32
  • KABA

    鉄道ファンというわけではないのですが、昔、住んでいた町の駅の写真がみられて、懐かしい気分に浸りました。駅の様子も思い出しましたし、線路をわたってホームにあがるという、いまなら、危険!といわれるようなつくりだったのも、ああ、そうだったっけ、と。
    ありがとうございました。
    2021年11月23日 21:15

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