江戸の敵(かたき)を長崎で~と言う古い言葉がありますが、東京から遠く離れた長崎で、元気に活躍していた元都電2000形、昭和45年3月の姿です。
九州鉄めぐりの途中、例によって仲間と離れて長崎電軌を撮影しました。タイトルのカットは長崎駅前ですが、一番最初に迎えてくれたのが、700形←元東京都電2000形でした。もと都電唯一の1067mm区間、杉並線の小型車、長崎の車両規格に合っていたのか、まとまった数が走っていました。
(1)中心地の西浜町のデルタ線を行く705。 前面の広告が、長崎カレーの店として今や東京にも進出している<蜂の家>のだったのです。今回初めて気がつきました。
(2)ちょっとした丘越えの区間になっている公会堂前付近、架線柱の広告はカステラ屋さんですね。
都電2000形は新宿~荻窪間の青梅街道を走っていた電車、杉並線廃止後、1067mm→1372mmに改軌して広尾車庫や早稲田車庫に転属しました。 (3)杉並線廃止日の荻窪終点、記念電車も2000形でした。手前のクルマがかっこいい・・・時代を感じますね。
(4)そして長崎駅前~都電2000には何種かありましたが、長崎にやってきたのは後期形=全金属車体のものですね。アルミサッシの広い窓や、側面のスカートなど、都電の中でもまとまったデザインでした。それにしてもこの電車、1067mm→1372mm→1435mmと日本の主だったゲージすべてを走ったわけですね。
長崎の700形は今も現役で都電色に復元されたのもあるようですね。
江戸の敵を長崎で、どころか、大事に使ってくれて感謝!でございます。
この記事へのコメント
なにわ
長崎オリジナルも多数健在ですから、40年を隔てた写真も撮影可能ですね。
Junior
しかし、都電6000に始まるデザインは、この全金属製車体の2000で見事に完結したって感じの良いデザインですね。
tama
Cedar
長崎の電車も随分変わったようですね。それ以上に町の佇まいが変わってしまったことでしょう。
都電2000は十番や霞町の失われた風景の中の記憶も鮮明です。
山の手の町並みに似合っていましたね
■Junior様
2000の後期デザインは都電の中でも完成度高いと思います。6000の泥臭さが抜けましたね。
■tama様
荒電にも仲間が走った事があります。今の電車に比べればみんな同じに見えるデザインでした。
Cedar
★maipenrai様
★nd502様
★あおたけ様
★manamana様
nice!ありがとうございます。
きんぎょ/中澤
Tosi
Cedar
この当時、地方に行くと今のように全国チェーンのお店が少なく、広告主がローカルなものが多くて楽しかったですね。
そういうのも写真を見る楽しみのひとつです。
西鉄(旧九軌)の木造車はインタアーバンと路面電車の中間な感じでユニークでしたね。もっとも長崎の保存車しか見たことはありませんが・・・
■Tosi様
ご訪問とコメント、ありがとうございます。地方都市の建築物と路面電車の組み合わせは偶然の産物なのですが、どんどん立て替えられていくのが残念ですね。
Cedar
★FTドルフィン様
nice!ありがとうございます。