昭和46年の或る日、今もがんばるナローライン北勢線(当時は近鉄所属)を訪ねた画像が見つかりました。
(1・2)今はなくなってしまった上笠田駅の周辺での撮影でした。最初は田んぼの遠景から・・
当時はまだ田舎の風景が広がる中を、昼下がりのMT編成は軽快なモーター音を響かせて走り去っていきました。
(3)丘のふもとにあった上笠田駅では、交換が行われていました。電車のカプラーやホームの低さもナローならでは、古びた駅舎の軒もナローの電車に合わせたように低いのですね・・・・。
カプラーが自連になっているのはさすが大近鉄の一員(と、思ったら四日市の内部・八王子線のほうは、この頃は朝顔のままでした)。
昭和36年、三重交通時代の上笠田駅の交換シーン、クリームとグリーンに塗られたモ二221は、いかにも軽便らしいです。
(4・5)背の高い雑木林の脇を行く区間。樹々の高さのせいで電車の小ささが強調されています。
モニ221に牽かれていくT車がいいですね! サイドのバス窓と同じデザインの正面が大好きでした。乗務員扉が付いているのはTc化に備えたそうです。(実際、後年Tcになったのもありました。)
(6)上笠田駅の少し桑名寄りの築堤。4・5の電車が阿下喜から戻ってきたのを撮影したのだと思います。![]()
北勢線名物だった3連接車。運用についていないことも多かったのですが、この日は走る姿を確認したので、満を持して(私にしてはほんとに珍しいことなのです!)撮影したものでした。
(7)当時はまだ電動車だった3連接車、今でも撮影ポイントになっているコンクリートアーチを通過し・・・![]()
(8)鎮守の森を急カーブで回りこんで、上笠田駅方向に走り去っていきました。
昭和46年、ローカルムード満点の北勢線。この辺りも今はどんな風景が広がっているのでしょうか?
それにしても、今でもナローのまま運行してくれている三岐鉄道さんには感謝感謝!ですね。
この記事へのコメント
manamana
超ローカルムードです。
今でも、ナローなのに冷房も積んで、
積極経営なのが嬉しいです。
む〜さん
「普通に乗りに行ける軽便」は、ここと、四日市だけになりました。寂しいことです。
Cedar
ナローにふさわしい(!)ローカルムードでした。別の機会に夏行ったときには、あたりにやたら蛇が多くてビックリした事があります。
■む~さん様
三岐鉄道がすぐそばを走っていたおかげで、命拾いしたということですね。
この時も、三岐鉄道の駅まで歩いて、セメント列車等撮影後、近鉄富田に戻ったのでした。
軽便鉄道という言葉もほぼ死語ではないでしょうか、寂しい。
Cedar
nice!ありがとうございます。
京葉帝都
ナローゲージの電車の車内は狭いですが、
慣れてくるとヒューマンスケールに近いのかもしれません。
三岐の経営になる数年前に往復乗車しました。
gop
http://987.blog.so-net.ne.jp/2008-07-01
桑名駅周辺は随分変わりましたが、沿線風景は大きく変わらず。
久々に行ってみたいものです。
Cedar
床の低さなど、バリアフリーを先取りしてましたね。冷房化までやってくれる三鉄さんはエライ!
■gop様
このあと一度行きましたが、それも●0年前。西桑名の駅は移転したあとでした。
のり
このようなローカル私鉄は、本当にめずらしくなってしまいましたね。
ニブロク初の冷房車を走らせているのは、本当にすごいことです。
Cedar
恐縮です。三岐鉄道(→北勢線)と岡山電軌(→和歌山電鉄)は救世主ですね。近代的な軽便はヨーロッパには幾つか有ります。日本にもあったらよかったのに~例えばこちら→
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-01-15-1
Cedar
nice!ありがとうございます。
巽孝一郎
Cedar
もう三岐担って7年もたちましたか・・・それにしても近鉄は分社化、譲渡に忙しいですね。
Cedar
nice!ありがとうございます。
やすし
各地を走っていたナロー、近くは尾小屋、奥山、駿遠と幾らも乗れた人生だったのに残念です。
Cedar
コメントありがとうございます!
ナローも今や桑名四日市だけになりましたね。四日市は廃止の噂しきりですし、私が乗ったのは、近鉄、花巻、下津井、いずれも電車でした。遠鉄奥山線や駿遠線はタッチの差で間に合いませんでした。
やすし
Cedar
>下津井電鉄が晩年に走らせた遊園地の観覧車のような車両
それは「メリーベル号」 です。 1988年アルナ工機製の展望電車で、下津井電鉄最後の新造車両にして最初の冷房車でした。廃車後は仰せの通り三岐鉄道北勢線に譲渡される話もありましたが保安装置や架線電圧の相違で立ち消えとなったということです。
やすし